【稲川淳二】ゆきちゃん【ゆっくり朗読】161
2021/05/22
私の友人にね、娘さんがいるんですよ。
久しぶりに彼から電話があって、娘さんがラジオ局に就職が決まったっていうんですよ。
良かったじゃない!って言ったら、娘さんが「一人暮らしをしたいと言ってる」って言うんですよね。
今まで親元で暮らしてさ、社会人になっても家から通って、結婚したら家庭に入っちゃうから、少しの間でもいいから一人暮らしがしたいと言い始めたというんですよ。
で、私が「いいんじゃないの、あんたの娘さん良い子だし、しっかりしてるしさ」って言ったんですよね。
そしたら、どの辺がいいかなぁ?っていうから、彼ね中央線沿線なんですよ、娘さんの仕事場が四谷の方だというから、「じゃ、杉並なんていいんじゃない?」って言ったの。
私、昔に杉並でお店持っていたんですよね、もうやめてしまいましたが……
あそこならね、都心には近いし閑静だしね、若いお嬢さんが暮らすにはいいんじゃないかなぁと思ったの、だから勧めたんですよね。
そしたら「そう?じゃ、探してみる」という話になったんですよ。
しばらく経ってから、また彼から電話を貰いましてね、「おお!ありがとう、丁度いい物件が見つかったよ!」って言うんですよ。
娘さんと一緒に探しに行ったらしいんだな……
そしたら、本当に手頃な物件があった。
駅から近くて、道はそんなに太くはないんですよ、車一台しか通れなくて、ちょっと弓なりに曲がっているんだけど、けや木の大きな木があって、駅の近くのわりには閑静な所。
その道なりに面した新築のアパートの1階なんだけど、道路から7、80センチ高いコンクリートの土台の上に立っている、石垣みたいに。
でも、考えてみたらさ、逆に塀なんかあると危ないでしょ?
死角になって……
むしろ道路に面していたほうが火事のときにもすぐ逃げられるし、1階っていっても土台が高いから、外から覗かれないし、アパートはオートロックだし、逆に安全なわけだ。
「だから、ここに決めたよ」って……
私も紹介した手前、良かったねと喜びましたよ。
そして彼女、引越しも無事に済んで、一人暮らしを始めたわけだ。
まだ春になったばっかりの頃ですよ。
そして入社の前日、彼女に会社から電話があった。
「どう?入社前に見学に来ない?」ってね。
彼女も初めての社会人で不安ですからね、少しでも事前に情報がほしいですから、「はい、行きます」って、行ったって仕事をするわけじゃない。
見学しながら、説明を受ける。
「君もああいうことするんだよ」ああでこうで、こういうこともあるよと…「おいおい教えて行くから心配ないよ」って、終わったら皆で飲みに行こうと誘われた。
それで近くの居酒屋へ行ったんだ。
彼女結構強かったんだな、スタッフに付き合って、ガンガン飲んで、笑って、もう絶好調ですよ。
帰りはタクシーで送ってもらって、「じゃ、明日からよろしくね!」
「はい、ありがとうございました!」って別れた。
そして部屋に戻ったわけだ。
部屋の中、自分の好きな家具置いて、花なんか飾ってる…自分の城ですよね。
まだ、春になったばかりだし、その年東京は寒かった。
だからまだコタツを出してたんだよね。
彼女お酒飲んでいるし寒いものだから、置いてあるコタツに足を入れて、ゴロンと横になった。
親には叱られない、誰にも余計なこと言われない。
一人暮らしって、自由でいいなぁと思った。
お酒飲んでますからね、そうこうしているうちに、ウトウトしはじめた。
すると、しばらくすると
…ゆきちゃん…ゆきちゃん……
外から声がする。
…ん?
…ゆきちゃん…ゆきちゃん……
なんだろうと思って、目を開けた。
…ゆきちゃん
彼女、「ああ、そうか…夜遅くに犬の散歩させているんだ」と思った。
今は犬にも人間みたいな名前付けるじゃないですか、犬の散歩か、大変だなぁ…と、またそのまま寝ちゃった。
次の日は局へ行って昼まで仕事、午後からは入社式があって、その後は歓迎式典ってほどでもないんだけど、セレモニーがあって、さんざん盛り上がって、2次会、3次会と……
この業界飲むの好きですからね。で、楽しんだ……
そんで、かなり遅くなったから、局の車で送ってもらって、
「どうもお疲れ様でした。ありがとうございました。じゃあまた明日」
で、部屋に入った。
部屋、昨日のまんまですよ。酔って布団敷くの面倒なもんだから、またコタツに足を入れて、バタンと横になった。
うつらうつらしているうちに、本当に寝ちゃった。
しばらく時間がたったんだ……
時間がたって、うっと、何かの声で目を覚ました。
…ゆきちゃん…ゆきちゃん……
声がきこえる。
彼女、目を開けて、耳を澄ましたんだ。
…ゆきちゃん…ゆきちゃん……
ああ、昨日の人か…また犬を散歩させてるんだぁ…起こされちゃったなと、また目を瞑って寝ようとした……
そのうち…ん?…なにかがおかしいと思ったっていうんですよね。
犬を呼ぶなら
「ゆきちゃん!チッチッチゆきちゃん!こっちよ!」ってこれが普通ですよね?。
同じ間隔で、同じボルテージで、…ゆきちゃん…ゆきちゃん…って呼んでる。
そして声は一方方向から少しずつ、少しずつ確実に近付いて来ている。
それもどうやら、通りの方から自分の部屋に向かって呼んでるらしい……
…ゆきちゃん…ゆきちゃん……
でも、自分はゆきちゃんじゃないですからね…なんだろうなぁと思ったけど、関係ないやって、また目を閉じて寝ちゃった。
どの位の時間が経ったのか
…ゆきちゃん!…ゆきちゃん!
その声で目が覚めた。
ゆきちゃん!…ゆきちゃん!
なんだ?まだ居るのか?
かなり近い所で声がする。
ん?と思って、ひょいと窓を見た。
うわ!!
曇りガラスの窓に女の上半身がピタッと引っ付いてる!
身体をベタッとくっ付けて、窓に手をついてる。
こっちをジーーーっと見てるんだ。
そして
ゆきちゃん!…ゆきちゃん!
自分の事を呼んでる。
でも自分はゆきちゃんじゃないし……
これ、普通だったら気持ち悪いし、怖い、けれど、彼女、酔っ払っているし、寝ぼけているから、「やだなぁ、あの人、人のこと呼んで…」と
見られるの嫌なもんだから、なんと彼女、コタツの中に頭を入れて、かくれちゃったんだ。
そして、そのまま寝ちゃった。
でも普通ならそんなことありえない、だってそのアパート道路から7、80センチ高い所に建っているんだ、足場なんかないから、窓に上半身なんか付けられる筈ないんだよね……
でも、彼女そのことに気付かなかったんだな。
そのまんま寝ちゃった。
すると、またしばらくして、…ゆきちゃん!!…ねぇ、ゆきちゃん!!
ん?…?!
今度はもっと近い所で、声がした。
どうやら自分の部屋の中らしい!
…ねぇ、ゆきちゃん!明日なんにしよ?
ええええっ!?……
明らかに部屋の中で声がするんだ。
その時彼女、こいつは人間じゃないやと、思ったっていうんですよね。
それは、そうですよね?
オートロックのアパートなわけだから、鍵の閉め忘れはない。
ドアを開ける音もしていない、入れるわけないんだから……
なのに部屋の中にいる。
…ねぇ、ゆきちゃん!明日なんにしよ?
ズズズ…と膝をすってだんだん自分に近付いてくる。
何しろコタツの布団かぶって、横になっているから、片方の耳は床についてますからね、音がはっきりと聞こえる。
またズズっと近付いてきて、…ねぇ、ゆきちゃん!明日なんにしよ?
…ズズっ、どん!と相手の膝が、背中に当たった!
どうやら相手は膝立ちになって、自分を布団越しに、上から見詰めているらしい!
そりゃ、もう恐怖ですよ。
彼女ぎゅっと目を瞑ってね、一生懸命祈った。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…帰ってください!助けてください!
…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…帰ってください!帰ってください!…助けてください!……
すると今度は、コタツ布団の方の顔が何かでぐぐぐっつと押された、そして耳元で……
ねぇ!ゆきちゃん!!明日なにんにしよ?!
相手は自分の顔で布団を押しているらしい、相手の口が耳に押し付けられて、口の動きや息づかいまで感じる、大音量なわけだ。
もう、怖い!
うわーっ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…帰ってください!助けてください!
…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…帰ってください!帰ってください!…助けてください!
…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……
…ねぇ!ゆきちゃん!!明日なにんにしよ?!
やめてください!帰ってください!南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……
すると、今度はひときわ大きな声で、「そんなことしたって、帰らないよ!!!!」
って、言ったというんですよね……
彼女そこで、すーっと意識を失って……
起きたら朝になってて、彼女あわてて、そのまんま実家に逃げ帰ったといってました。
その話聞いたものだから、ちょっと待ってて、私が調べてみるからって言ったんですよ。
で私、地元の知り合いが集まる居酒屋行ってさ、聞いてみた。
そしたらある人が、「ああ、あのアパートなら知ってる」って話してくれたんですよ。
あのアパート、以前、家があって、でも火事で、そこに住んでいたおじいちゃんと、おばあちゃんが焼け死んでるんですよ。
その跡地にアパート建てたんですよね。
ただ、ゆきちゃんというのが、なんだか分からないんですよ。
何だったんですかねぇ……
(了)
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