【厳選】 怪談・都市伝説・怖い話まとめ

ネットで見つけた、都市伝説・怪談・ほんとにあった怖い話・世にも奇妙な物語・心霊系・不思議系・電波系・オカルト系のお話シリーズです♪

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師匠シリーズ 051話~052話 追跡(3)・貯水池(1)

   

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051 師匠シリーズ「追跡3」

「ここから東へ歩きます」と言ったものの、二人とも土地勘がなく困ってしまった。
近くで周辺の地図を描いた看板を見つけて、その現在位置からかろうじて方角を割り出す。
ページ内を読み進めると、どうやら廃工場にたどり着くらしい。
顔を上げるが、まだそのシルエットは見えない。
川が近いらしく、かすかに湿った風が頬を撫でていく。寒さに上着の襟を直した。

うしろすがたに会った。

急にこんな一文が出てくる。前後を読んでもよくわからない。誰かの後ろ姿を見たということだろうか。
住宅街なのだろうが、寂れていて俺たちの他に人影もない。
右手には背の低い雑草が生い茂る空き地があり、左手には高い塀が続いている。
明かりといえば、思い出したように数十メートル間隔で街灯が立っているだけだ。
その道の向こう側から、誰かの足音が聞こえ始めた。
そしてほどなくして、暗闇の中から中肉中背の男性の背中が現れた。
確かにこちらに向かって歩いて来ているのに、それはどう見ても後ろ姿なのだった。
服だけを逆に着ているわけではない。
夜にこんなひとけのない場所で、後ろ向きに歩いている人なんてどう考えてもまともな人間じゃない。
俺は見てみぬ振りをしながら、それをやり過ごそうと道の端に寄って、早足で通り過ぎた。
そして、どんなツラしてるんだとこっそり振り返ってみると、ゾクリと首筋に冷たいものが走った。
後ろ姿だった。

後ろ姿がさっきと同じ歩調で歩き去っていく。
横を通り過ぎた一瞬に向き直ったのだろうか。いや、そんな気配はなかった。
足を止める俺に、彼女がどうしたのと訊く。
「あれを」と震える指先で示すと、彼女は首を捻って「なに?」と言う。
彼女には見えないらしい。
そして俺の視界からも、後ろ姿はゆっくりと消えていった。闇の中へと。
『追跡』から読みとる限り、師匠の行く先とは関係がないようだ。
あんなサラッと読み飛ばせそうな部分だったのに、俺の肝っ玉はすっかり縮み上がってしまった。
廃工場の黒々としたシルエットが目の前に現れた頃にはすっかり足が竦んで、
ホントにこんなとこに師匠がいるのかと、気弱になってしまっていた。

「で?工場についたけど」
崩れかけたブロック塀の内側に入り、彼女が振り向く。続きを読めと言っているのだ。
俺は震える手でペンライトをかざし、ページをめくる。

呼びかけに答える声を頼りに、奥へと進む。

そのまま読み進め、心の準備云々の一文が無かったので、続けてページをめくる。
本当にこれで師匠を見つけられるのだろうか。
俺は恐る恐る工場の敷地に入って行き、師匠の名前を叫んだ。
トタンの波板が風にたわむ音に紛れて、微かな応えが聞こえた気がする。
空っぽの倉庫をいくつか通り過ぎ、敷地の隅にあったプレハブの前に立つ。
ペンライトのわずかな明かりに照らされて、スプレーやペンキの落書きだらけの外装が浮かび上がる。
その全面に蔦がからみついて、廃棄された物悲しい風情を醸し出している。

小声でもう一度呼んでみる。
その瞬間、中からガタンという何か金属製のものが倒れる音がして、「ここだ」という弱々しい声が続く。
蹴られた跡なのか、誰かの足跡だらけの入り口のドアはすぐ見つかったが、
ドアノブを捻ってみても、やはり鍵が掛かっている。
「無駄だ。あいつら何故か合鍵持ってるんだ」と言う中からの声に、
「裏の窓から入ればいいんでしょう」と答えると、師匠は少し押し黙ったあと、「彼女がいるのか」と訊いた。
その通りだと答えたあとで、俺はプレハブの裏に回る。
かなり高い位置に窓はあったが、壁に立てかけられた廃材をなんとか利用してよじ登る。
割るまでもなくすでにガラスなど残ってはいない窓から、体を滑り込ませる。
中は暗い。何も見えない。口にくわえたペンライトを下に向けると、なんとか足場はありそうだ。
錆付いたなにかの骨組みを伝って下に降りる。

「ここだ」という声に、踏み場もないほどプラスティックやら鋼材やらで散らかった足元に気をつけながら進み、
ようやく師匠らしき人影を発見した。
鉄製の柱を抱くように座り込んでいる。
よく見ると、その手には手錠が掛けられている。
自分の手と手錠とで柱を巻くような輪っかを作ることで、自由を奪われているのだ。
顔をライトで照らすと、「眩しい」と言ってすぐに逸らしたが、かなり憔悴していることは分かった。
そして、殴られたような顔の腫れにも気付いた。
「ツルハシみたいのがあるはずです」と言うと、師匠は少し考えるように頭を振ったあと、
「あの辺にあったかな」と、部屋の隅を顎で指した。
暗くてよく見えないので、半ば手探りで探す。錆びてささくれ立った金属片が指に傷をつける。
俺はかまわずに進み、ようやく目的のものを発見した。

柱の所に戻り、出来るだけ手を引っ込めておくように指示してから、手錠の鎖の部分に狙いをつける。
暗いので、何度も軌道を確認しながら、5分の力でツルハシの先端を打ちつけた。
ゴキンという音とともにパッと火花が散り、師匠から「もう一発」という声がかかる。
手錠とは言っても、所詮安っぽい作りのおもちゃだ。次の一撃で鎖は完全に千切れ飛んだ。
「肩、かして」と言う師匠を支えながら、出入り口のドアに向かう。
鍵が掛かっていたが、中からは手動で解除できた。

ようやくプレハブの外に出た時には、入ってから20分あまりも経過していたと思う。
外には彼女が待っていて、師匠は片手を挙げて「いつも、すまん」と言った。
暗くて彼女の表情までは伺えなかった。
師匠はナンパした女とホテルに行ったまでは良かったが、
出てから一緒にレストランに向かう途中、偶然その女のオトコに見つかり、
逆上したそいつに後ろから鈍器のようなもので殴られて、車で連れ去られたのだと言う。
それから、この廃工場を溜まり場にしていたオトコとその仲間たちから、殴る蹴るの暴行を受けた上、
手錠をはめられ監禁されてしまった、ということだった。
俺たちが見つけなければどうなっていたかと思うとゾッとしてくる。
「力が入らない」と言う師匠を背負うような格好で、半分引きずりながら、俺はとにかくこの場を離れようと歩き出した。
熱い。風邪を引きでもしているのか、師匠の体はかなり熱かった。
無理もない。服は奪われでもしたのか、この寒空の下、ジーンズに長袖のTシャツ1枚という格好だった。

彼女が上着を脱いで師匠の背中にかぶせる。
俺たちは無言で歩き続けた。どこかタクシーを拾える所まで行かなくてはならない。

やがて師匠が熱に浮かされたのか、半分眠りながらうわ言めいたことをぼそぼそと繰り返し始めた。
俺はともかくこれですべて解決したと安堵しつつも、『追跡』の続きが気になっていた。
廃工場についてからの見開き4ページ分で、師匠の救出に成功しているにもかかわらず、その最後にはこうあったのだ。

心の準備が出来るまで、次のページには行かないほうが良い。

このあと、いったい何があるというのだろう。
俺は師匠がずり落ちないように苦心しながら片手で『追跡』を取り出して、口にくわえたペンライトをかざす。
心の準備……なんのためのだろう。
またドキドキしはじめた心臓を鎮めながら、俺はゆっくりとページをめくた。

彼がうわ言で女の名前を口にした途端、その背中に鋭利な刃物が突き立った。

ゾクッとした。一瞬歩調が乱れる。
鋭利な刃物。
そんなものがどこから来るのか。

決まっている。ここには俺と師匠の他にはあの人しかいない。
コツコツと足音が背後からついてくる。背中の師匠が邪魔で後ろが見えない。
だが、そこにはあの人しかいないじゃないか。
すべてが繋がって来る。
『追跡』の中の主人公は、一人で行動しているように見える。
だからこそ、現実で同行すると言い出した彼女の役割は、ただの観察者に過ぎなかったはずだ。
しかし、妙な引っ掛かりを感じていたのも事実だ。
冒頭のゲームセンターのプリクラ。
これはまだ良い。一人で撮る変わった奴もいるだろう。
雑貨屋やら喫茶店、ボーリング場も一人で入ったって良い。
けれど、ラブホテルだけはどうだ。『追跡』の主人公は果たして、一人で部屋に入ったというのだろうか。
『追跡』は極端に省略された文章を使っているが、
もしかすると、意図的にもう一人の同行者の存在を隠していたのかも知れない。
つまり、彼女の役割はイレギュラーな観察者などではなく、れっきとした登場人物なのかも知れないじゃないか。
俺は神経が針金のように研ぎ澄まされていく感覚を覚えた。
場所は図らずも、さっき“うしろすがた”に会った空き地の前だ。
師匠はむにゃむにゃとうわ言を繰り返している。その言葉は不明瞭でほとんど聞き取れない。
後ろ頭にかかる師匠の息が熱い。
『追跡』は師匠が刺される場面で唐突に終わっている。
バッドエンドだ。救いなど無い。

彼女は本当に、これに書いた内容を覚えていないのだろうか。
この最後のページを見せないために、順番どおりに読んで行くべきだと言ったんじゃないのか。
でも彼女はいま刃物なんて持ってるのか。いや、小さなバッグがある。
そして彼女が雑貨屋で買ったものはなんだ?血染めのピコピコハンマーをやめて、最後に選んだものはなんだった?
思考と疑惑が頭の中でぐるぐると回る。
足はなぜか止められない。
彼女は今、後ろでなにをしている?

そして決定的な時がやって来た。
師匠のうわ言が一際大きくなり、俺にもはっきり聞こえる声がこう言った。
「……綾……」
その瞬間、時間が止まったような錯覚を覚え、俺は自分の心臓の音だけを聞いていた。
彼女が足音を響かせて近づいてくる。
そして、優しい声で言うのだ。
「なあに」
師匠は眠ってしまったようだ。寝息が聞こえてくる。
俺はまだドキドキしている胸を撫で下ろして、
師匠がこの状況下で彼女の名前を呟いたことに、不思議な感動を覚えていた。

後日、怪我の治ったという師匠のアパートへ行った。
「迷惑をかけたな。済まなかった」
頭を下げる師匠に、「やだなあ、そんなキャラじゃないでしょ」と軽口を叩いて部屋に上がる。
そして、このあいだの事の顛末を詳しく聞いた。

どうやら師匠は、『人面疽がある女』という噂をどこかから聞きつけて、なんとしても見たくなったらしく、
探し出してナンパしたのだそうだ。
一日でよくもまあホテルまで漕ぎつけたものだ。
「で、あったんですか。人面疽」
「いや、あれはただの火傷の跡だろう」
そしてもう用済みだから、女が行きたがっていたので予約しておいたレストランをなんとかキャンセルして、
すぐにでも別れられないかと姦計を巡らせていた所、女の彼氏に出くわしてこんな目にあったということらしい。
「最悪だった」
最悪なのはあんたもだと言いたかった。あの事件は、ある意味当然の天罰だろう。
俺はふと思い出して、昨日気づいたばかりの発見を師匠に披露した。
「『追跡』の作者のペンネーム、カヰ=ロアナークでしたよね」
チラシの裏に、ボールペンで書き付ける。
KAYI ROANAKU
「たぶん、こう書くんですよ。
ロアノーク島の怪をもじるにしても、少し重い感じがしたのは、使える文字が決まってたからなんです」
というのは、と続けながら俺はその下に並べて別の名前を書く。
倉野木綾 KURANOKI AYA
「綾さんの名前です。で、これを両方ともアルファベット順に並び替えると……」
AAAIKKNORUY
AAAIKKNORUY
「ね、アナグラムでしょう。これって」
師匠は頷く。
「さらに、綾さんの今のペンネームも同様に」
茅野歩く KAYANO ARIKU

AAAIKKNORUY

「どうです」
自慢げな俺に、師匠はあまり感心した様子も無く、
「カヰ=ロアノークをやめたいから、別のを考えてって言われて、こねくり回して今の名前を作ったの、僕だしね」と言う。
予想されたことだった。
しかし、この自分的に凄い発見に水を差された気がして、テンションが下がった。
そのせいだろうか、少し意地悪なことを言いたくなった。
「でも、よくあの場面で綾さんの名前を呟きましたね。といっても覚えてないでしょうけど」
「違う女の名前を口にしてたら刺されてたって?そんなことで刺されるなら、とっくに死んでるって」
ああ、やっぱりこの人はダメだ。
「でも綾さんの予知能力で書かれた、いうならば予言の書にあったんですよ。
その運命を変える、奇跡的な一言だったわけじゃないですか」
「まあしょせん、小説だからなあ」
その小説のおかげで助けられたのは誰だと言いそうになった。
「それにそれを読んでたの、一人だけじゃないわけだし」
何気ない一言に、煙に巻かれたような気分になる。
「どういうことですか」
詰め寄る俺を制しながら、師匠は飄々と言った。
「あの最後のページを読んでた時、僕も後ろで見てたんだよね。背中で。
で、こりゃやっべーと思って、やっぱ丸く収まる名前をね」
狸寝入りかこの野郎。
俺はなんだか痛快な気持ちになって、腹の底から笑った。

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052 師匠シリーズ「貯水池1」

大学1回生の秋だった。
その頃の僕は、以前から自分にあった霊感が、じわじわと染み出すようにその領域を広げていく感覚を、
半ば畏れ、また半ばでは、身の震えるような妖しい快感を覚えていた。
霊感はより強いそれに触れることで、まるで共鳴しあうように研ぎ澄まされるようだ。
僕とその人の間には、確かにそんな関係性があったのだろう。
それは、磁石に触れた鉄が着磁するのにも似ている。
その人はそうして僕を引っ張り上げ、
また、その不思議な感覚を持て余すことのないように、次々と消化すべき対象を与えてくれた。
信じられないようなものをたくさん見てきた。
その中で危険な目にあったことも数知れない。
その頃の僕には、その人のやることすべてが面白半分の不謹慎な行動に見えもした。
しかしまた一方で、時折覗く寂しげな横顔に、
その不思議な感覚を共有する仲間を求める、孤独な素顔を垣間見ていたような気がする。
もう会えなくなって、夕暮れの交差点、テレビのブラウン管の前、深夜のコンビニの光の中、
ふとした時に思い出すその人の顔は、いつも暗く沈んでいる。
勝手な感傷だとわかってはいても、そんな時僕は、
何か大事なものをなくしたような、とても悲しい気持ちになるのだった。

「貯水池の幽霊?」
さして面白くもなさそうに、胡坐をかいて体を前後左右に揺する。
それが師匠の癖だった。あまり上品とは言えない。
師匠と呼び始めたのはいつからだっただろうか。オカルトの道の上では何一つ勝てるものはない。
しかし、恐れ入ってもいなかった。貶尊あい半ばする微妙な呼称だったと思う。
「そうです。夕方とか夜中にそこを通ると、時々立ってるんですよ」

その日、僕は師匠の家にお邪魔していた。
築何十年なのか聞くのも怖いボロアパートで、家賃は1万円やそこららしい。
部屋の中に備え付けの台所から、麦茶を沸かす音がシュンシュンと聞こえている。
「近くに貯水池なんてあったかな」
「いや、ちょっと遠くなんですけど。バイト先からの帰り道なんで」
行きには陽があるせいか出くわしたことはない。
「高校のプール10コ分くらいの面積に、周囲には土の斜面があって、その周りをぐるっと囲むようにフェンスがあります。
自転車をこぎながらだと、貯水池は道路から見下ろすような格好になって、
行きにはいつもなんとなくフェンスのそばに寄って、水面を眺めながら通り過ぎてます。
それが結構高いフェンスなんですけど、帰りにそのこっち側、道路側に時々出るんですよ」
はじめは人がいると思って避けて通ろうとしたのだが、
横切る瞬間の嫌な感覚は、これまで何度も経験した独特のものだった。
それは黒いフードのようなものを頭からかぶっていて、男か女かも判然としない。
ただ、足元にはいつも水溜りが出来ていて、フードの裾からシトシトと水が滴っている。晴れた日にもだ。
『関わらないほうがいい』
それは信じるべき直感だったが、かといって道を変えるほど素直でもなかった。
それからは、バイト帰りには必ず道の反対側を通るようにしている。
といっても、1車線のあまり広いとはいえない道なので、嫌が応にも横目で見る形ですれ違うことになる。
気分が良いはずはない。
一度師匠をけしかけてみようと虫の良いことを思いついたのだが、どうやらあまり琴線に触れる内容ではなかったようだ。
正直にナントカシテと言うのも情けない。

少しがっかりしながら、3回に1回くらいは向こう側に出ることもあると付け加えた瞬間、師匠の体の揺れがピタリとおさまった。
「なんて言った?」
「いや、だから、フェンスのこっち側の時と、向こう側の時があるって話です。立ち位置が」
師匠は首を捻りながら「へぇえ」と言った。
僕は大学の授業で習っている中国語のピンインのようだと、見当違いなことを思った。
第四声だったか。下がって上がるやつ。
「物理的な実体を持たない霊魂にとって、フェンスという障害物なんてあってもなくても同じだから、
こっちか向こうかなんて、大した違いはなさそうに思えるかも知れないけど……
実体を持たないからこそ、“ウチ”か“ソト”かっていうのは不可逆的な要素なんだ。
場についてる霊にとっては特にね」
だから地縛霊って言うんだ。
師匠はようやく乗り気になったようで、声のトーンが上がってきた。
「なにかあるね」
体の揺れの代わりに、左目の下を触る癖が顔を出した。そこには薄っすらとした切り傷の跡がある。
興奮してきた時には、なぜか少し痒くなるらしい。何の傷かは知らない。
じっと見ていた僕に気づいて、師匠は「嫁にもらってくれるか」と冗談めかして言う。
とにかく、その貯水池に夜になったら行ってみようということになった。
しかし、僕にとっては思った通りの展開だと、手放しで喜ぶわけにはいかない。
なにか得体の知れない不気味な気配が、貯水池の幽霊の話から漂い始めているような気がしていた。

そのあと、師匠が作った夕飯のご相伴に預かったのだが、これが酷い代物で、
なにしろ500グラム100円のパスタ麺を茹でて、
その上に何かの試供品でもらったという、聞いたこともないフリカケをかけただけという、
料理とも言えないようなものだった。
「毎日こんなものを食べてるんですか」と訊くと、「今はダイエット中だから」という真贋つきかねる回答。
家賃も安いし、一体何に金をつかっているのやらと、余計な詮索をせざるを得なかった。

あっという間に食べ終わってしまい、師匠は水っ腹でも張らすつもりなのか麦茶をがぶ飲みし、トイレが近くなったようだった。
「僕もトイレ借ります」と言って、戻ってきた師匠と入れ違いに部屋を出る。
このクラスのアパートだとトイレは普通、共有なのだろうが、なぜかここには専用のトイレがある。
ただし、一度玄関から外に出ないと行けないという欠陥を持っていた。
生意気に洋式ではあったが、これがおもちゃのようなプラスチック製で、
なるほど、ダイエットでもしていないと、いつかぶち壊れそうな普請だった。
便座を上げて用を足しながら、冬は外に出たくないだろうなあと、
すでに秋も半ばというほのかな肌寒さに、しばし思いを馳せた。

戻ってくると師匠が上着をまとって、「さあ行くか」と立ち上がった。
「雨、降りそうですよ」
「うん。車で行こう」
師匠の軽四に乗り込んだ時には、日はすっかり暮れていた。
そして走り出して100メートルと行かないうちに、フロントガラスを雨の粒が叩き始める。
「稲川淳二でも聞こう」

カーステレオからカツゼツの悪い声が流れてくる。
師匠は完全に稲川淳二をギャグとしてとらえていて、
気分が沈みがちな時には、その怪談話をケラケラ笑いながら聞き流してドライブする、というのが常だった。
僕はその頃、まだ稲川淳二を笑えるほどスレてはいなく、
その独特の口調による怪異の描写に少しゾクゾクしながら、助手席で大人しくなっていた。

雨の降り続く中を車は走り、やがて貯水池のある道路にさしかかった。
師匠はギアを2速に落とし、2メートルあまりの高さのフェンスを左手に見ながらそろそろと進む。
雨が車の窓やボンネットに跳ねる音と、ワイパーがガラスを擦るキュッキュッという音がやけに大きく響き、
僕は少し心細くなってきた。
「あれかな」
師匠の声に視線を上げると、車のライトに反射する雨粒の向こうに人影らしきものが見えた。
だんだんと近づくにつれ、それがフェンスの向こう側にいることに気づく。
近くに民家もなく、人通りもない。
そこに雨の中、まして夜に一人で貯水池に佇んでいる人影が、まともな人間だとは思えない。
少なくとも僕の良く知る世界のおいては。

さらにスピードを落として車は進む。
そしてあと10メートルという距離に来た時、意表を突かれることが起こった。
そのフードをすっぽりとかぶった人影が、右手を挙げたのである。
まるで『乗せてくれ』と言いたいかのように。
僕の知る世界において馴染みのある仕草に一瞬混乱し、
次に起こった思いは、乗せてあげないといけないという、至極当然の人間心理だった。
雨の中、困っている人がいたら、たとえタクシーでなくとも乗せてあげるだろう?
その、一見すると正しいように見える着想を口にしたとたん、次の瞬間師匠の一言に掻き消された。

(了)

 

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