師匠シリーズ 049話 田舎(中編1-2)
2021/05/23
049 師匠シリーズ「田舎 中編1」
そもそもの始まりは大学一回生の秋に、実に半端な長さの試験休みなるものがぽっこりと出現したことによる。
その休みに、随分久しかった母方の田舎への帰省旅行を思いついたのだが、それがどういうわけか、師匠、CoCoさん、京介さんという、三人の先輩を引き連れての道ゆきとなってしまった。
楽しみではあったが、そこはかとない不安がどんよりと道の先にあるのを、俺は見て見ぬ振りをしていたのだった。
駅まで迎えに来てくれた伯父の車は七人乗りだったが、助手席に伯父の家で飼っている柴犬が丸まって寝ていたので、京介さんとCoCoさん、俺と師匠という並びで、それぞれ中部座席、後部座席に収まっていた。
俺としては、その柴犬がまだ生きていたことにまず驚いた。
耳の形に見覚えのある特徴があったので、その子供かと思ったのだが、『リュウ』本人なのだという。
二十歳は確実に超えているはずだ。伯父にリュウの歳を聞くと、「忘れた」と言って笑うだけだった。
「こいつはドライブが好きでなあ、昔ゃよう連れてったもんじゃけんど、最近は全然出たがらんなっちょったがよ。 今日は珍しい」
京介さんが頷きながら手を伸ばし、前の座席で寝そべっているリュウのお尻のあたりを撫でる。
リュウはちらっとだけ視線を向けて、また静かに目を閉じた。
車は快調に国道をとばしていた。山間の道をひたすらに東へ進む。
右手に川が現れて、ゴツゴツした巨大な岩が視界に入っては、すぐに後方へ飛び去っていった。
「なんちゃあないろう(何もないところだろう)」
そういう伯父の言葉には、変に飾ったところも卑屈なところもなく、気持ちが良かった。
CoCoさんが土地のことなどあれこれを聞き、京介さんもいつになく口が滑らかだった。
伯父が言った冗談に師匠がやたらウケて笑い声をあげ、その余韻で楽しそうに隣の俺の肩を叩きながら顔を寄せて、表情とまったく違う冷めた調子で、「ところで」と言った。
「僕が今見ているものを、伝えてもいいか」
俺にしか聞こえないくらいの小さな囁き声に、いきなり冷水をかけられたような気分になった。
日差しの強かったはずの窓の外が急に暗くなり、国道のすぐ横を流れている川は、闇に消えるように水面も見えなくなった。
そしてあたりから音が消え、車のフロントガラスの向こうには黒い霧が渦を巻いている。
やがて川沿いのガードレールのあたりに、凍りついたような青白い人の顔がいくつも並びはじめた。
暗くて首から下は見えない。顔だけがのっぺりと浮かび上がっている。男の顔もあれば女の顔もある。
それも、大人が道路ぶちに立っているような高さのものもあれば、その半分の高さのもの、はるか見上げるような位置にあるもの、地面に落ちているもの、様々な顔が、しかしどれも無表情でこちらを見ているのだった。
そして無表情のまま、その顔たちはそれぞれ口を微かに開いている。
音もなく、車の窓ガラス越しに視界は走り、手を伸ばせば届きそうな距離に暗闇に浮かぶ顔が、まるで上下にうねる様な連続体となって見えた。
それぞれの口の形は連続することによって、いくつかの単語を脳裏に強制的に想起させようとしていた。
自分の心臓の音だけが響き、俺は暗い窓の外から目を離せないでいる。
「なにを吹き込んでるんだ」
京介さんのその声に、ふいに我に返った。
世界に音が戻ってきた。
暗かった視界も一瞬のうちに霧が晴れたように元に戻り、アスファルトの照り返しが目に飛び込んでくる。
師匠がすぅっと近づけていた顔を遠ざける。
「別に、なにも」
京介さんがこちらを睨む。
「あと三十分くらいで着くきに」
伯父が能天気な声でそう言った。
京介さんが前に向き直ると、師匠はまた顔を寄せてきて「怖いな、アイツ」と言う。
俺はさっきの体験を反芻して、どうやら『師匠が見ているもの』の説明を聞かされているうちに、まるで白昼夢のようにリアルな再構築を脳内で行ってしまった、と結論づける。
もちろん、催眠術をかじっているという師匠のイタズラには違いない。
その師匠が、「僕の見ている世界はどうだった」と聞いてくる。
「あの顔はなんですか」と囁き返す。あの幻からは、“拒絶”という確かな悪意が感じられた。
ところが師匠は、それをお化けとも悪霊とも呼ばなかった。
「神様だよ」
塞の神。馴染み深い言葉でいえば道祖神。
そんな言葉が耳元に流れてくる。
「男の顔も、女の顔もあっただろう。双体道祖神といって、それほど珍しくもない男女2対の道の神様だ。辻や道の端にあり、旅人の安全を祈願すると同時に、村や集落といった共同体への、異物の侵入を防ぐ役割を果たしている。たぶん、この道路沿いのどこかに石に、彫られたものがあったはずだ」
「……異物ってなんですか」
俺の問いに、師匠は可笑しそうに囁いた。
「疫病とか悪霊とか、ソトからもたらされる害悪の源。鬼はソト、福はウチってね。幸いをもたらすものは歓迎し、災いをもたらすものは拒絶する。道祖神はその線引きをする、果断な性格の神様だね」
もちろんウチにいる者にとっては、何も気にする必要のない、無害な神様さ。師匠はそう言って、嬉しそうに続ける。
「僕くらい、いろんなビョーキを持って、ソトからやってくる人間は別だけど」
ビョーキ。
ここではなんの隠語なのか、すごく気になるところだったが、師匠は京介さんの視線を感じたらしく、また自分の座り位置に戻っていった。
車は国道から離れ、村道だか県道だかの山道へと入っていった。
窓の外いっぱいに広がる緑の木々を、視界の端に捕らえながら、俺の頭の中には『僕の見ている世界』という単語が、へばりつく様に離れないでいた。
師匠はいつも、あんな底冷えのするような悪意の中を生きているのだろうか。
伯父がまたなにか冗談を言ってCoCoさんが笑い声をあげたとき、師匠がふいに顔を寄せ、囁いた。
「あんなに強いのは珍しい。これも土地柄かな」
車が、ようやく止まった。
思ったより早く着いた。道がよくなったのだろうか。連れてこられたことしかない自分にはよくわからなかった。
「さあ降りとうせ」という伯父の声に、俺たちは外に出る。
見渡す限りの山の中だ。目を上げると、谷を隔てた山向こうの峰はなお高い。
思わず小さいころよくやった、ヤッホーという声をあげたくなる。
そして懐かしい伯父の家が、ささやかな石垣の中の広い敷地に、昔のままで立っていた。
それは、子供のころはおばあちゃんの家だった。高校一年生の時に祖母が亡くなるまでは。
その時の滞在は、葬式のために慌しく過ぎてしまって、あまり印象が無い。
「ヘェヘェ」と疲れたような声を出して、リュウが足元を通り過ぎようとした。
ガシッと捕まえて、顔を両手でグリグリと揉む。
「こらおまえ、葬式ン時もいたか?」
されていることに全く関心が無い様子で、何も言わずにされるがままになっている。
「あらあらあら」という甲高い声とともに、家の玄関から布巾で手を拭きながら伯母が出てきた。
その後は、久しぶりに会った親戚の子どもに対するごく一般的なやりとりが続き、連れの仲間たちの紹介を終えて、ようやく俺は伯父の家の畳の上に尻を落ち着けた。
「みんなお昼は食べたが?」という伯母の言葉に頷くと、「じゃあ晩御飯はご馳走にしちゃおき、体でも動かしてきぃ」と言われた。
それに適当に返事をし、あてがわれた部屋に荷物を置くと、とりあえず大の字になって、車内でずっと曲げっぱなしだった足を思う存分伸ばす。
さすがに田舎の家は広い。記憶の中ではもっと広かった。
二階建てのその家は、大昔に民宿をしていたというだけあって、部屋の数も多い。
俺たち四人全員に一部屋ずつあてがっても十分足りたのだろうが、男2女2ということで、ふた部屋を間借りすることにした。
「広れェー」と言いながら師匠と二人でゴロゴロ転がったあとで、廊下を隔てた女部屋を覗いた。
襖の隙間に片目を当てながら、「おい」「どっちが広い」「おい、こっちの部屋より広いか」などという師匠の声を背中で受け流していると、いきなり中から現れた京介さんに、「死ね」と言われながらドツかれた。
すごすごと部屋に戻ると、玄関の方から若い男の声が聞こえた。
出て行くと、近所に住む親戚のユキオだった。
顔を見ると懐かしさがこみ上げてくる。子供のころは、夏休みにこの家へやってくるたびに遊んだものだ。
どうしてると聞くと、「役場で、しがない公務員じゃ」とはにかんだように笑う。
そういえばたしか、俺より二つ歳上だった。
「じゃ、今は昼休みじゃき、また晩にでも寄るわ」
ユキオはそう言って、家にも上がらずにスクーターにまたがった。
どうやら仕事に戻った伯父が、道ですれ違いざまに俺が来てることを話したらしい。
時計を見ると、十五時をだいぶ回っている。ずいぶんと大らかな昼休みだ。
「さあ、これからどうしましょうか」
四人で集まって、何をするか話し合った。
じっとしていると背中に汗が浮いてくる。男部屋は窓を大きく開け放ち、クーラーなどつけていない。
らしきものはあるが、スイッチを押しても反応はなかった。
「泳ぎに行きましょう」という俺の意見に、全員が賛成した。
旅行に発つ前にあらかじめ、水の綺麗な川があるから泳げるような準備をしておいてください、と伝えてあったので、一も二もない。
少し山を下るので、伯父の家の車を借りた。
向かう先に着替える場所がないので、部屋で水着に着替え、服を羽織って出かけることにした。
師匠が来た時とは別の白いバンのハンドルを握り、他の三人が乗り込む。
049 師匠シリーズ「田舎 中編2」
蝉の声の中を車は走り、くねくねと山道を下りていくと、やがて一軒の家の前に出た。
「ここに止めてください」
川の近くには車を止められそうなところがない。いつもこの家の敷地の端を借りて止めさせてもらっていた。
車を降りた。
暑い。蒸すわけではなかったが、とにかく日差しが強かった。サンダルに履き替えた足が気持ちいい。
舗装もされていない田舎道を、「次暑いって言ったヤツ罰金」などと言い合いながら歩いていると、それなりに仲間らしく見えるのだから不思議だ。
つい数時間前に、「どうしてコイツがいるのか」と師匠と京介さん、ともに喧嘩腰だったのを忘れそうになる。
わりとねちっこい師匠に対して、さっぱりしている京介さんの大人の対応が、奏功しているように思えた。
見通しのいい四つ辻に差し掛かったとき、ふいに俺の前を歩いていた京介さんが、「アツッ」と言ってしゃがみこんだ。
師匠が嬉しそうに、「今暑いって言った?暑いって言った?」と言いながら振り返る。
「言ってない」
京介さんはすぐ立ち上がり、右足を気にしながらなんでもないと手を振ってみせる。
CoCoさんが「どうしたの」と聞き、京介さんは歩き始めながら「何か踏んだかも」と答える。
そんなやりとりのあと、数分とかからずに川に辿り着いた。
山に囲まれた渓谷の中に、ひんやりとした水面がキラキラと輝いている。
昔とちっとも変わらない、澄んだ水だった。
カラカラに乾いた大きな岩の上に、服とサンダルを放り投げ、海パン姿になって、玉砂利の浅瀬にそろそろと足を浸す。
冷たい。でも気持ちがいい。
ゆっくりと腰まで浸かって、川の流れを肌で感じる。
師匠はというと、準備運動もそこそこにいきなり飛び込んで、早くもスイスイと泳いでいる。
女性陣の二人は水辺で沢ガニを見つけたらしく、しばらくウロウロと足の先を濡らすだけだったが、俺が肩まで浸かるころ、ようやく羽織っていた服を脱ぎ、水着姿になって川の中に入って来た。
下流の方から派手なクロールで戻って来た師匠が、膝まで浸かった女性二人の前で止まり、水中から首だけを出して「うーん」と唸ったあとで、CoCoさんの方に向かって右手で退ける仕草をした。
「もう少し、離れたほうがいい」
その言葉を聞いてきょとんとした後、CoCoさんはおもむろに隣の京介さんの方を見上げて、ついで足元まで見下ろし、芝居がかった様子でうんうんと頷いてから、どういう意味だコラというようなことを言って、師匠に向かって水を蹴り上げた。
そのあとしばらく、四人入り乱れての水の掛け合いが続いた。
やがて俺は疲れて川からあがり、熱い岩の上にたっぷり水をかけて冷ましてから座り込む。
他の三人は気持ちよさそうに、深さのある下流のあたりを泳ぎ回っている。
俺も泳げたらなあと思う。
完全なカナヅチというわけではないが、足がつかないところへは怖くてとても行けない。
溺れるという恐怖感というよりは、足がつかない場所そのものに対する、潜在的な恐怖心なのだろう。
なにも足に触れるはずのない水深で、『なにか』に触ってしまったら……
そう思うといてもたってもいられず、水から出たくなる。
まして今、川の真ん中に、誰のものともつかない土気色をした『手』が突き出ているのが見えている状況では、とても無理だ。
『手』に気がついた時にはかなりドキッとしたが、その脈絡のなさに自分でもどう反応していいのかわからない感じで、とりあえず深呼吸をした。
師匠たちの泳いでいる場所からさらに下流。
岩肌の斜面から覆いかぶさるような藪が突き出ていて、その影が落ちているあたり。
どう見ても人間の手に見えるそれが、二の腕から上を水面に出して、なにかを掴もうとするように手のひらを広げている。
師匠たちは気づいていない。
俺は眼鏡をそろそろとずらしてみる。
ぼやけていく視界の中で、その『手』だけが輪郭を保っていた。
ああ、やっぱりと思う。
そこに質量を持って存在する物体であるなら、裸眼で見ると他の景色と同じようにぼやけるはずなのだ。
この世のものではないモノを見分ける方法として、師匠に習ったのだったが、俺は夢から覚めるための技術として似たようなことをしていたので、わりと抵抗なく受け入れられた。
悪夢を見てしまうとほっぺたをつねって目を覚ます、なんていうやり方が効かなくなってきた中学生のころ、俺は「夢なんてしょせん、俺の脳味噌が作り出した世界だ」という醒めた思考のもとに、その脳味噌が処理しきれないことをしてやれば夢はそこで終わる、と考えた。
夢から覚めたいと思ったら、本を探すのだ。もしくは新聞でもいい。
とにかく、俺が知るはずのないものを見ること。
そして、そこに書いてある情報量が、ページを構成するのに足りないことを確認し、「ざまあみろ脳味噌」と嗤う。
本質からして都合よくできている夢なのだから、本を読もうとすると、それなりに本っぽいつくりになっているかも知れない。
しかし、中身は無理なのだ。
世界を否定したくて文章を読んでいる俺と、世界を成り立たせるために一瞬で構築される文章。
その二つを同時に行うには、脳の処理速度が絶対に追いつかない。
そして、化けの皮が剥がれたように夢が壊れていく。
そうして目を覚ますのは、俺の快感でもあった。
それと同じことが、この眼鏡をずらす手法にも言える。
仮に途方もなくリアルな生首の幻覚を見たとして、ああ、これは現実だろうかと考えたとき、眼鏡をずらしてみる。
すると、現実には存在しない生首だけは、ぼやけていく世界から取り残されたように、くっきりと浮かび上がってくる。
もし脳のなんらかの作用で、眼鏡をずらしたら生首もぼやけるという潜在的な認識のもとに、生首もぼやけて見えたとしても、それは、その距離であればこのくらいぼやけるという、正確な姿を示さない。
必ず他の景色とはぼやけ具合が食い違って見える。
それが、一瞬で様々な処理をしなくてはならない、脳味噌の限界なのだと思う。
だが、幻覚はまた夢とも違う。
ああ、コイツは幻だと気づいたところで、消えてくれるものと消えないものとがあるのだ。
「うおっ」という声があがり、CoCoさんとぶつかりそうになった師匠が立ち泳ぎに切り替える。
「川でバタフライするな」
そんなことを言いながら、CoCoさんのほうへ水鉄砲を飛ばす。
そのすぐ背後には水面から突き出た手。
思わず師匠に警告しようとした。
しかし、なにか危険なものであるなら、俺が気づいて師匠が気づかないなんてことがあるのだろうか。
ならばこれはただの幻なのだ。俺の個人的な幻覚を、他人が怯える必要はない。
けれど、なぜ今そんなものが見えるのか……
薄ら寒いものが背中を這い上がってくる。
師匠はなにも気づかない様子で再び平泳ぎに戻り、『手』から離れて上流の方へやってくる。
俺は『手』から目を離せない。
肘も曲げず、まるで一本の葦のように、流れに逆らってひとつ所に留まっている。
そこからなんらかの意思を感じようとして、じっと見つめる。
ふいにCoCoさんが、川縁で声をあげた。
「これって、なんだろう」
そちらを見ると、水面からわずかに出っ張っている石に、へばりつくように白いものがある。
近寄って来た京介さんが、無造作に指でつまむ。
それは水に濡れた紙のように見えた。
あっ、と思う間もなくその白いものが千切れて、水に落ち流されていった。
指に残ったものをしげしげと見ていた京介さんが、「紙だ」と言う。
「目がある」
そう続けて、残された部分にある、わずかな切れ込みを空にかざした。
たしかにそこには二つぽっかりと穴が開き、それまるで生き物の目を象っているように見えた。
「よくそんなの触れるな」
師匠が、ざぶざぶと川から上がりながら言う。
京介さんの視線が冷たく移り、何も返さずにその白い紙を水に投げた。
紙は、沈みそうになりながらも流れに乗った。
全員の視線が自然とそこに向かう。
下流で、藪の影が落ちているあたりを通り過ぎるとき、あの『手』がもう見えないことに気がついた。
まるで溶けるように消えてしまっていた。
持参していたタオルで体を拭いて、俺たちは河原を出た。
冷たい川の水に浸かったことで、さっきまでのまとわりつくような熱い空気が嘘のように霧消して、涼しいくらいだった。
けれどそれも一瞬のことで、歩き始めるとすぐにまたじっとりと汗が浮き出てくる。
車に戻る前に寄り道をして、近くの商店でアイスを買った。
店のおばちゃんは見知らぬ若者たちを不審そうに見ながらも、棒アイスを四本出してくれた。
そういえば今日は平日なのだった。まして若者の極端に少ない過疎の村だ。
小さい頃、何度かここでアイスを買っただけの俺の顔を覚えていないのも無理はなく、よそ者が来たという程度の認識しかなかっただろう。
開いてるのかどうかもよくわからない店が3,四軒並んでいるだけの、道端のささやかな一角だった。
食べながら帰ろうというみんなに、「ちょっと待ってください」と言いながら、俺は店のおばちゃんに「この先の河原って、最近水難事故かなにか起きましたか」と聞いてみた。
おばちゃんは眉をひそめ、「最近はないねえ」とだけ言って、次の言葉も待たず店の奥に引っ込んでいった。
ああ、俺もすっかりよそ者なのだなぁと、少し寂しくなった。
その後、アイスをかじりつつ、元来た道を歩きながら師匠が言う。
「あの紙は幣だね」
たぶんそうだと答えた。
神様や悪霊を象った紙人形、とでも言えばしっくりくるだろうか。この村ではさまざまな儀式にその幣を使う。
「なんの幣だった?」
遠目に見ただけだし、目がふたつ開いてるというだけではさっぱりわからない。なにより俺自身が詳しくない。
「川ミサキか、水神かな」
師匠はさらっとそう言う。どこで調べたのか知らないが、俺より知っていそうな口ぶりだ。
日が翳り始めた道をだらだらと歩いていると、さっきの四つ辻に差し掛かった。
すると、まるでさっきの再現のように、京介さんが短い声をあげて道に屈みこむ。
さすがに驚いて大丈夫ですかと様子を伺うと、手で押さえている右のふくらはぎから、薄っすらと血が流れているのが目に入った。
CoCoさんがしゃがみこんで、「なにかで切った?」と聞いている。
京介さんは首を横に振る。
切ったって、いったい何で?
俺は周囲を見渡したが、見通しもよくなにもない道の上なのだ。
カマイタチ。
そんな単語が頭に浮かんだが、師匠が道の真ん中に両手をついて這いつくばっているのを見て、一瞬で消える。
目を輝かせて、まるでコンタクトレンズでも探すように土の上に視線を這わせている。
なにをしてるんですか。その言葉を飲み込んだ。
周囲の空気が変わった気がしたからだ。
足元からゆらゆらと悪意が立ちのぼってくるような錯覚を覚えて身を硬くする。
「おい、よせ」
京介さんは羽織っている上着のポケットから小さな絆創膏を取り出して、ふくらはぎに貼り、立ち上がりながらそう言った。
師匠はそれが聞こえなかったように地面を食い入る様に見つめ、独り言のように呟く。
「なにか、埋まっているな、ここに」
心臓に悪い言葉が、俺の耳を撫でるように通り過ぎる。
京介さんが師匠に近づこうとしたとき、チリリンと耳障りな音がして自転車が通りがかった。
泥のついた作業着を着込んだ中年の男性が、不審そうな目つきでこちらを見ている。
同じ方角からは、似たような格好をした数人が自転車で近づいてきている。
四つ辻の真ん中で這いつくばっていた師匠は、なにを思ったかピョンと勢いよく立ち上がると、「腹減った。帰ろう」と言った。
俺は気まずい思いで道をあけて、自転車たちをやり過ごす。
通り過ぎた後も、ちらちらと視線を感じた。
(了)
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