【厳選】 怪談・都市伝説・怖い話まとめ

ネットで見つけた、都市伝説・怪談・ほんとにあった怖い話・世にも奇妙な物語・心霊系・不思議系・電波系・オカルト系のお話シリーズです♪

*

【閲覧注意!!】本当にあった鬼畜の所業!ナチス・ドイツの人体実験~ニュルンベルク・コードより

   

Sponsored Link

 

ナチスの人体実験

ナチス・ドイツの医師たちによる恐るべき人体実験が行われていました。

それを裁いた基準が、いわゆる「ニュルンベルク・コード(Nuremberg Code)」というものです。

国際軍事裁判での罪状

ナチス・ドイツを連合国が裁いたニュルンベルク国際軍事裁判のうち、米国が単独で担当した12のいわゆる「継続裁判」の第一法廷の第一事件は、23人の被告のうち20人が医師であるという特異な裁判でした。

「医師裁判 the Doctors’ Trial」とか「医学事件 the Medical Case」とも呼ばれるこの裁判は、ナチス・ドイツ時代に医師たちによって、医学の名の下に、行われた犯罪を裁くものだったのです。

裁判は米国式に行われ、検事団と裁判官はみな米国人でした。

ニュルンベルク裁判の根拠となったのは、1945年12月20日に定められた「ドイツ管理委員会法・第10号 Control Council Law No. 10」です。

この第2条第1項に「平和に反する罪」「戦争犯罪」「人道に反する罪」「国際軍事法廷によって有罪とされた犯罪集団および組織の成員であること」の4つの罪が規定されています。

この法律は1943年10月30日(発表は11月1日)にルーズベルト・チャーチル・スターリンが署名した「ドイツの残虐行為に関する宣言」(モスクワ宣言)と、1945年8月8日に米・仏・英・ソ4国の代表が署名した、枢軸国の戦争犯罪の訴追と処罰に関する合意(ロンドン合意)に基づいていました。

医師たちの訴追は「共同謀議 The Common Design or Conspiracy」「戦争犯罪」「人道に反する罪」「犯罪組織への所属」の4点にわたって行われました。

第1点の「共同謀議」とは、戦争犯罪と人道に反する罪への荷担を共謀したという罪状です。また第4点は、ナチス親衛隊へ所属していたことが問われました。

そして、第2点「戦争犯罪」と第3点「人道に反する罪」の罪状として挙げられたのが、以下に述べる、人体実験などの事柄でした。
[出典:http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/vuniv99/exp-lec3.html]

超高度実験

ドイツ空軍が新しく開発した戦闘機は、イギリスの戦闘機よりも高い高度を飛べるように、高度18000mまで上昇できるようになっていましたが、このような高度における低い気圧に操縦士が耐えられるかどうかが問題でした。

12,000m以上の高度に匹敵する低圧実験は、志願者に著しい苦痛を与えたために中断せざるを得ませんでした。

そこで低圧実験室の中にダッハウ強制収容所の囚人を入れて高度20,000mに匹敵する低気圧にまでさらす実験を、1942年3月頃から8月頃まで行いました。

ユダヤ人やポーランド人やロシア人捕虜約80人がこの実験で亡くなりました。

実験の経過は克明に記録され、死体は解剖されました。

かろうじて生き残った被験者もひどい後遺症に苦しみました。

低体温実験

空中戦で撃墜されパラシュートで脱出した後、北海に落ちたパイロットは、冷たい海水にさらされて凍死することがありました。

そこで低体温状態に陥った人間を蘇生させる実験を、ダッハウ強制収容所で1942年の8月頃から1943年の5月頃まで行いました。

囚人たちは、耐寒飛行服を着せられて氷水のタンクに3時間漬けられるか、凍てつく戸外に裸で9時間から14時間さらされたあと、さまざまな方法で体を温められました。

被験者の体温測定や血液の採取が行われ、死亡した被験者の解剖も行われました。

温める方法は、熱い湯につけるほか、親衛隊元帥ヒムラーの命令で女性囚人を呼び寄せ、裸にさせて被験者を2人ずつの間にはさんで体温で温めさせるということまで行われました。この実験で約90人の囚人の生命が奪われています。

マラリア実験

ダッハウ強制収容所で、1942年2月頃から1945年ころまで行われたこの実験では、1000人以上の囚人たちが、汚染された蚊に刺されたり、蚊の粘液腺からの抽出物を注射されたりして、人為的にマラリアに感染させられ、さまざまな予防薬や治療薬のテストに使われました。

30人がマラリアによって死亡し、300人から400人が薬の副作用や合併症で亡くなったといわれています。

毒ガス実験

「ロスト」と呼ばれた毒ガス(マスタード・ガス)による火傷の効果的な治療法を開発するための実験で、1939年9月から1945年4月まで、ザクセンハウゼンやナツヴァイラーをはじめとする各地の強制収容所で何度も行われました。

被験者は毒ガスを肌に塗られ、全身に火傷を負ってひどい苦しみを味わい、盲目になったり死亡した者もいました。

被験者の傷や回復の様子は毎日写真に撮られ、死亡者は解剖されました。

被験者や解剖で取り出された臓器の写真は写真集として公刊されました。

サルファ剤治療実験

1942年7月頃から1943年9月頃まで、人工の抗菌剤である、スルフォンアミドの有効性を調査するための実験が、ラーフェンスブリュック強制収容所にて行われていた。

被験者は、負わされた傷口に、連鎖球菌やウェルッシュ菌 (ガス壊疽の原因物質)や破傷風の原因菌である破傷風菌などのバクテリアを感染させられた。

戦場における負傷時と似通った条件を作り出すために、傷の両端の血管が結紮されて、血流が阻害させられた。

木を削ることや、ガラスを傷口の中に入れることを強いられたりして、感染状態は悪化した。有効性を決定するために、スルフォンアミドや他の薬品で、処置された。

骨・筋肉・神経の再生実験および骨移植実験

1942年9月頃から1943年12月頃に行われた実験で、女性の囚人から骨や筋肉や神経の一部を摘出してそれらが再生するかどうかを調べ、また他者への肩胛骨の移植が試みられました。

実質的には科学的目的すらなく、ただ被験者にひどい苦痛を与えただけの、無意味な実験でした。

海水飲用実験

非常時に海水を飲めるようにするための実験です。被験者となった囚人は、難破した時と同じように乏しい食糧しか与えられずに、4つのグループに分けられます。

第1グループにはいっさい水分を与えられません。

第2グループには通常の海水だけが与えられます。

第3グループには塩味を隠しただけで塩分はそのままの海水が与えられます。

そして第4グループには塩分を取り除いた海水が与えられました。

食べ物を奪われて海水だけを飲まされた。被験者は、ひどい脱水症状になり、飲み水を得ようと、新しくモップがけされた床を舐めるところが目撃されていました。

Sponsored Link

流行性黄疸(肝炎)実験

流行性黄疸(肝炎)の原因と予防接種を研究するための実験が行われました。

11人のユダヤ人の子供を含む被験者は肝炎に感染させられ、肝臓穿刺を受け、死亡したり、著しい苦痛にさいなまれたりしました。

断種実験

アウシュヴィッツ、ラヴェンスブリュックほかの強制収容所で1941年3月頃から1945年1月頃まで行われたこの実験は、ロシア人・ポーランド人・ユダヤ人その他の人々を、少ない費用でそうと気づかれないうちに大勢断種できる簡便な方法を開発するためのものでした。

数千人の人々がX線照射や手術や薬剤で不妊にさせられ、副作用に苦しみました。

発疹チフスなどの実験

1941年12月頃から1945年2月頃にかけてブヘンヴァルトとナツヴァイラーの収容所で、発疹チフスの実験が行われました。

ワクチンや薬剤の有効性を確かめる実験では、被験者の75%にワクチンや薬剤を投与され、3週間から4週間後、発疹チフスに感染させられました。

残りの25%の被験者は「対照群」として、何の予防措置もなくチフスに感染させられました。それだけではなく、単に発疹チフスウイルスの培地とするためだけに数多くの健康な囚人がチフスに感染させられ、その90%以上が死亡しました。

数百人の人々がこの実験の犠牲になっています。黄熱病、天然痘、パラチフス、コレラ、ジフテリアの実験も行われました。

毒物実験

1943年12月頃と1944年10月頃に、ブヘンヴァルト強制収容所で、さまざまな毒物の影響を調べる実験が行われています。

ロシア人囚人の食事にひそかに毒が混ぜられ、死亡したり、生き残った場合でも解剖のために殺されました。

1944年9月頃には5人の囚人が毒を詰めた銃弾で撃たれ、弾が貫通した2人を除く3人が毒によって死亡したという実験報告があります。

焼夷弾治療実験

1943年11月頃から1944年1月にかけてブヘンヴァルト収容所で、焼夷弾による火傷の治療実験が行われました。

1943年11月には5人の被験者が英国軍の焼夷弾から取り出された燐で火傷を作られ、著しい苦痛を味わわされました。

ユダヤ人骨標本コレクション

親衛隊大佐W. ジーフェルスは、ユダヤ人種の頭蓋骨標本を作る学術的必要性を訴え、東部戦線の捕虜ではなくアウシュヴィッツ強制収容所の囚人を用いるよう伝えました。

その結果、112人のユダヤ人が選ばれ、写真を撮られ、人体各部分を計測された後に殺害されました。

死体はストラスブルク大学に送られて解剖され、さまざまな検査や臓器の計測が行われたあと全身骨格の標本にされ、ストラスブルク大学解剖学研究所の骨標本コレクションに加えられました。

ポーランド人結核患者の大量殺害

1942年3月から1944年1月にかけて、占領したポーランド地域に住むドイツ人の健康を護るために、結核に感染されているとみなされたポーランド人は殺害されたり、治療施設の乏しい収容所に押し込められたりしました。

そのため、数万人のポーランド市民と兵士が結核で死亡しました。

障害者の「安楽死」

1939年9月から1945年4月まで、ドイツおよび占領地各地で、障害者・高齢者・末期患者・奇形児など「穀潰し」とされた人々の大量殺害が行われました。

「安楽死」と呼ばれたこの殺害計画は、ナーシング・ホームや病院や施設で、ガスや注射その他の方法を用いて行われ、遺族には自然死や病死と伝えられました。

「安楽死」に従事した医師たちはやがて東部の占領地域に送られて、ユダヤ人の抹殺に従事しました。

 

参考文献

世にも奇妙な人体実験の歴史 [ トレヴァー・ノートン ]

13歳のホロコースト 少女が見たアウシュヴィッツ

Sponsored Link

 - ほんとにあった怖い話, 凶悪殺人事件, X-Files

[PR]

Message

メールアドレスが公開されることはありません。

  関連記事

死後の世界を科学的に検証してみる

「死後の世界はない」ということをあなたは証明できない!? 人は心臓が止まっても、 …

酒鬼薔薇聖斗事件の手記「絶歌」批判焚書発禁の騒乱

「絶歌」出版に遺族から抗議・ネット上でも批判殺到 太田出版は2015年6月17日 …

自殺願望の隣人

前住んでたアパートの話。 派遣だけど、少し給料がいい所見つかったから働く事になっ …

ホーム・アローン~留守宅糾憫

俺は昔、父の都合で田舎の実家に住んでいた。 小学校低学年だった俺は、休日昼間はよ …

水門の二人

これは二十一世紀最初の夏、実際に経験したとても不思議な出来事です。 祖父の家は家 …

シリンダー錠にまつわる怖い話

  仕事から帰ったら部屋の前にオッサンが二人で立ってた。 290 :本 …

九大生体解剖事件(九州大学生体解剖事件)東野利夫氏戦慄の証言

九州大学生体解剖事件とは? 九州大学生体解剖事件は1945年に九州帝国大学(現九 …

【実話】山の防空壕で体験したこと

久しぶりに友人と酒を飲んでて思い出した話。 小さな事件だったけど、全国紙にも載っ …

罰当たり

二十一世紀になったばかりの年に体験した実話。 高校を卒業しフリーターになって一年 …

ひき逃げ女

  俺の弟、小学生の時にひき逃げにあったのだが、その時の運転手の女性。 …